現代大工の悪足掻き日誌

田舎大工の作業日誌

理由と経緯 そのニ

自分のやりたい事と出来ない事の狭間でいろいろと考えるようになり転職も意識しだしてきた。

でもその前に、親方との出会いの話を。
地元工務店に入社した初日、上司と現在会社が扱っている現場を周った。
その一つが住宅の新築現場で、そこに親方が手間請け大工として作業していた。
強面に厳つい体つき、ふてぶてしい態度でらしいといばらしい風貌。
その頃はからの付き合い。
でも、後に弟子入りするなんて夢にも思わなかった。

当然、その頃は仕事を出す側と請ける側。
でもそんな事はあんまり関係無い人だった。
大工の三代目で根っからの職人体質、そして体育会系。
若造監督ではとても太刀打ち出来ない。

現場に行くと「お前ら監督はどうせ暇だろ?遊んでるなら手伝っていけ!」と
最初は物を運ぶだけだった事が、そのうちボードを止めたり切ったり。
丸ノコで胴縁を切ったりエア釘打ち打ったりと、出来る事も増えていた。

うるさいおっさんとは思っていたが、知らぬ間にその時間は楽しみに。
わざわざ時間を作って親方の現場で汗を流した。
そんな事もあって可愛がって貰った。

そして入社して5〜6年経った頃、親方のおやっさんが70になるのでそろそろ引退。
一人になる親方から「お前、一緒にやらんか?」と誘って貰った。
ありがたい話だったが、即決は出来なかった。
監督しても半人前だったし、多くの大工と接して現在置かれている大工の立場も分かってきていた。
子供の頃の憧れだけでは前に進めなかった。

それから一年半以上経った頃、冒頭の気持ちになっていた自分は再度誘った貰った時に転職を決意した。
会社の状況が厳しくなっていたのも背中を押した要因の一つかもしれない。

辞めて直ぐ下請けに就職するのは多少遺恨が残る。
でも、大工になりたいという大義があったのと会社が厳しくなっていた事もあって円満退社できた。
自分が退社して数年後、その工務店は倒産した。

親方に弟子入りした時、28歳。
かなり遅い弟子入り。
このブログで能書きを書いているが桜が咲いたら大工歴13年目になる青二才。
まだまだです。

以上が大工を目指した理由と経緯。
二日にまたがり読んで頂きありがとうございました。

今日の現場談義

それまで仕事を頼む側から弟子になった訳で立場は180度変わった。
ある程度覚悟はしていたが、想像以上に大変だった。
でも一番大変だったのは金銭的な事かな。

最初の日当は8000円。
一ヶ月頑張っても20万円。
雨の日も赤い旗日も恨めしい。
そこから年金やら保険、仕事用の軽バンの維持費も出さないといけない。
もちろん有給もボーナスも無い。
仕事が出来ないので当たり前だが、この時すでに28歳。
そこそこ辛かった。
独身だったので良かったが、所帯持ちなら転職は出来なかったかも。
工務店時代は仕事より趣味に情熱を燃やしていたがそんな金は無くなった。
もちろんデート代も(笑)

覚えてますか?
一番最初の日当。