現代大工の悪足掻き日誌

田舎大工の作業日誌

理由と経緯 その一

困った時の本家頼み。
昨年末、taka311さんのつまらん日記に利兼さんからお題提供があったのでこちらでもあいのりします。

大工になった理由と経緯を

すべての始まりは中学2年生の時。
それまで雇用促進住宅に住んでいたが父親が一念発起し祖父の土地に新築を建てた。

一度は軽量鉄骨系大手ハウスメーカーで契約までしたが農転が引っかかり流れ、地元工務店で在来軸組工法に。
夏休みに建前をしたがそれまで土台しかなかったのが2日で屋根まで出来る光景にびっくり。
また上棟式で派手に餅投げをしたのも良い思い出。

完成まで何度も足を運んだ。
見ていて飽きなかった。
そして建築に興味が湧き、大工の男臭い所作にも憧れた。
完成した頃は中学3年に。
興味のおもむくまま少し離れた高校の建築科に進学。
在学中は部活に明け暮れていたが、進路相談の頃には大工ではなく設計を目指すようになっていた。
東京の設計専門学校に進学したが、この2年間が余計だった。
東京へは半分遊びにいったようなものだっし、なにより景気が激変。

高校卒業時はバブル経済崩壊直前。
高卒でも有効求人倍率は1.5以上あったと思う。
こちらにはハウスメーカー最大手のSハウスとDハウスの大きな工場があるがSハウスに就職した同級生がボーナスは年間で月給の10ヶ月分あるなんて話も。
就職して2年目には出たばかりのFDを新車で購入したのを見て羨ましかった。

でも専門学校を卒業した頃には有効求人倍率は半分の0.7ぐらいに。
また、東京暮らしのストレスからか病気になり里帰り直後から半年程療養。
リハビリがてらバイトをしていた時、日建学院の営業さんから電話。
もちろん入校の案内だったが、現在バイトの身と伝えると親身になって就職先を紹介して頂いた。

それが地元の工務店
そこでは設計という立場で就職したつもりだったが、業績は下降気味で人員削減。
何でもやらされて、いつの間にか現場監督が本業に。
大手ゼネコンの下請けや公共事業など大きな工事もやっていたが、住宅も手掛けていた。
RC造、S造、木造何でも扱った。
7年程勤めていたが、最後の2年間はほぼ住宅のみを扱う立場に。
そのうち7割はリフォーム。
折込み広告を入れ、連絡頂いたらすぐに伺い仕事を取ってくる営業的な仕事もしていた。

あらゆる仕事の中で一番好きだったのが、住宅リフォーム。
お客様と会話しその意向を形にする。
そして直ぐ反応、評価が分かる。
笑顔で喜んで頂いた時は本当に嬉しかった。

でも同時に監督としての立場の限界を感じるように。
いくらお客様と打ち合わせをしより良い納まりを決めても、実際に作業をするのは自分ではなく大工や他の職人さん。
お客様の意向、それを受けた自分の考えを他者に任せて実現化するのは難しい。
何度かそのジレンマを感じ管理する立場から施工する立場になる事を考え始める。

続く

今日の現場談義

職についた経緯はいろいろとある思う。
最初から高い志を持っていた方。
何となく流れで。
家業だったからなど、きっと十人十色。

でも大切なのは経緯ではなく今だと思う。

ズバリ!
今の自分の仕事は好きですか?